最近、さまざまな国や地域との交流が盛んになり、異文化を体験する機会もふえていますが、異文化を体験するということは、本質的には、いったいどういうことなのでしょうか。一つには、異質な時間と時間を体験するということが挙げられます。異質な空間という意味については、

admin2022-01-16  49

问题     最近、さまざまな国や地域との交流が盛んになり、異文化を体験する機会もふえていますが、異文化を体験するということは、本質的には、いったいどういうことなのでしょうか。一つには、異質な時間と時間を体験するということが挙げられます。異質な空間という意味については、私たちのいる空間と文化の空間が違うのは当たり前のことですから、容易に理解できるでしょうが、異質な時間というのは、時差の認識や感覚に違う面があることを意味します。
    ここでは、異質な時間の例として、「夕刻」という時間について考えてみます。タ刻という時間は、一日の中で昼は終わったが、まだ夜にはならない狭間であり、一種の境界である時間です。そして、それは、仕事と憩いの、公と私の境目の時間にも当たります。例えば、ヨーロッバのホテルでは、タ刻になると、ロビーなどでピアノが演奏されるゆったりとした時間を設け、うまく間を持たせて夕食に弊げるエ夫をしているところがあります。また、アジアでは、仕事を終えた人々が、夕食の始まる前にお寺に行き、花や水を供えるところがあります。これらの夕刻のひとときに接すると、何かほっとするものを感じます。
    それに対して、現代の私たちの社会では、休みなく続く日常の仕事の時間が全体を覆っており、朝起きてから夜寝るまで、境界の時間はほとんどありません。結局、日常の時間の流れに裂け目を作る装置がないために、ゆとりのない社会になってしまっています。【R11】________、ヨーロッパのホテルやアジアの社会で、タ刻のゆったりとした時間を過ごしたり、公と私の境目の時間に出会ったりすると、何かほっとした充実した気持ちになるのです。つまり、私たちは、異質な時間に接することで、日常の仕事の時間に支配されてしまっている時間を見直すことができ、緊張した心が穏やかになるのです。
    日本でも、以前には生活の中に境界の時間に当たるものが組み込まれていたのですが、近代化と都市化の過程で、ほとんど失われてしまいました。いまでは、私たちの文化になくなってしまったものを、境界の時間のように、異文化の中に見つけ出すことがあります。
    異文化を体験することの意義は、このように、私たちの文化になくなってしまったものを発見して、それがどうしてなくなってしまったんだろうと改めて考えさせずにはおかないところ、つまり、私たちの文化を見直す機会を与えてくれるところにあります。異文化と出会い、私たちの文化を捉え直す中で、私たちの生きる意味も発見できるのではないでしょうか。
筆者がこの文章で最も言いたいことはどれか。

选项 A、公と私の時間の境界がないところに、異文化を考えていく意義がある。
B、異質な空間と時間を体験するところに、ゆったりとした時間を作る意義がある。
C、ヨーロッパのホテルのように、ゆったりとした時間を作るところに意義がある。
D、私たちの文化を見直す機会を与えてくれるところに、異文化を体験することの意義がある。

答案D

解析 综合全文脉络,以及文章最后一段内容大意,可知D项正确。
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