私たちは、自分とは何か、を考えようとするときには、自分ならざるもの、すなわち他者を必要とする。AはAである、と言うとき、そこには、AはBではないもの、Cではないもの、…、という事態が潜在的に含まれている。 とすると、人間とは何か、ということを考える

admin2023-01-16  11

问题     私たちは、自分とは何か、を考えようとするときには、自分ならざるもの、すなわち他者を必要とする。AはAである、と言うとき、そこには、AはBではないもの、Cではないもの、…、という事態が潜在的に含まれている。
    とすると、人間とは何か、ということを考える場合にも、このことは当然あてはまる。人間は(とりわけ、西洋の伝統的発想法においては)神ではないもの、動物ではないもの、という形で理解されてきた。これらの<他者>は、われわれの日常的な生き方や道徳を、根底的なところで確定してくれる働きをする。例えば、「私は犬や猫ではないのだから…」、「私は神ならざる身なのだから…」と。つまり、<他者>と」の同一性と差異性を通じて、人間という存在の特徴が始めて浮き彫りにされてくるわけである。
    したがって、十九世紀から始まる<進化論>の主張は、人間の自己理解に大きな混乱と変動を引き起こすことになったのは当然なのである。自分とは、動物ではないもの、であったはずなのに、自分は動物だった、と知ったら、自己を浮かび上がらせるべき他者(つまり、自己を確定すべき境界線)が消失することになるからだ。しかしながら、く殺人はいけないが牛や豚を料理することは許される>ことを是認しなければならないわれわれとしては、どうしても、人間以外の動物をく他者>として再確定しなくてはならない。そこで、通常動物には欠けていると考えられる諸特性、例えば、計算合理性、言語能力、抽象化能力などが(動物という<他者>からの逆照射を通じて浮かび上がってきて)われわれ人間のアイデンティティーの根拠となり始めたのである。
    ところが、われわれにとって興味深い<他者>が今世紀の半ばに出現してきた。それは、いうまでもなくコンピュータという<他者>である。

选项

答案 “自己是什么?”我们要思考这一问题时,有必要换位思考。“A是A”这句话潜在地含有“A既非B也非C”这一多指性。 这一多指性也适合于我们思考“人是什么”这一问题。长此以来所理解的人的定义是:人(特别在西方传统的观念中)不是神,也不是动物。这一定式中与人相对的“他者”,起着从根本上来确定我们日常的人生方式及道德等的作用。如“我不是狗或猫,所以……”也就是说,通过同“他者”的同一性和差异性的比较,人的客观特征才开始鲜明起来。 因而,从19世纪开始产生的“进化论”的原理,势必会给对人的定式的理解带来极大的混乱和变更。一旦明白理应不是动物的自己却是动物,使自己(人的特征)浮现出来的他者(即能确定自己与他者的界线)也就消失了。然而,必须承认“虽不允许杀人但允许吃牛肉或猪肉”的我们人类,无论如何必须把人类以外的动物当作“他者”再次确定。因此,公认的通常动物所欠缺的种种特征,如理性计算、语言能力、抽象能力等(通过来自动物这一“他者”的反照而浮现出来),开始成为我们人类同一性的根据。然而,对我们人类来说,本世纪(20世纪)中叶出现了耐人寻味的“他者”,这就是不容分说的计算机。

解析 1.“私たちは、自分とは何か、を考えようとするときには、自分ならざるもの、すなとわち他者を必要とする。”把思考的内容先译出来,符合原文的气势,故译作“‘自己是什么?’我们要思考这一问题时,有必要换位思考。”
2.“そこには、AはBではないもの、Cではないもの…という事態が潜在的に含まれている。”意译为“‘A是A”这句话潜在地含有“A既非B也非C”这一多指性。”
3.“自分とは、動物ではないもの、であったはずなのに、自分は動物だった、と知ったら、自己を浮かび上がらせるべき他者(つまり、自己を確定すべき境界線)が消失することになるからだ。”这个复句的结构是“…たら…からだ”(一且……就……),译作“一旦明白理应不是动物的自己却是动物,使自己(人的特征)浮现出来的他者(即能确定自己与他者的界线)也就消失了。”
4. “アイデンティティー”译作“同一性”
5.“興味深い<他者>”译作“耐人寻味的‘他者’”。
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